今見るとそう思えるけど
私たちは、ごく普通の人が当たり前に、技術的には大したことのないCUIのOSに触れ、作り、プログラミングに親しむということを、あまりにも軽視していたのではないだろうか。
って、パラフレーズするとMS-DOSとITRONみたいな感じになる。でもMS-DOSはWindowsに繋がっていった。
堀越二郎は一輪車の工事用ネコ車を設計して糊口をしのいでいたんでしたっけ?
進駐軍の方針として全力で日本の航空力を消滅させる気満々だったという空気らしいし。
60年代末期になってもグライダーに乗るだけで「安保賛成」「再軍備賛成」ってみなされて機体をトラックに載せて逃げ回ってたって聞いたような……。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/021900056/090500009/?P=5
「オシコシ」的イベントは米国だから可能、か?
飛行機を自作する文化は日本にもちゃんとあった
もし戦後日本に「EAA」的組織があったならEAAの設立が、日本の航空解禁と同じ1953年である事は、大変に象徴的だ。少々極端に表現すれば、1953年までホームビルト機において日米は“ほぼ”並行していたとさえ言える。
私たちは、ごく普通の人が当たり前に、技術的には大したことのない小さな飛行機に触れ、作り、操縦し、空に親しむということを、あまりにも軽視していたのではないだろうか。
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