« トマトジュース・ダイエット | トップページ | 産業活力再生特別措置法 »

2012/02/20

ネット・バカ

ネット・バカ/ニコラス・G・カー

やっと読み終えた感想としては、頭悪そうな邦訳タイトルが実にしっくりと意外とまともに感じられた。中身どんなやねん。バカって言う奴がバカなんですぅー。ネットバカ一代とか、そういうことかもしれないけれど。

何十年か前、21世紀の未来人は皆歩かないで個人自動車で移動するから宇宙人みたいに足が退化して短くなるみたいな子供でも信用しかねる未来予測がネタとしてあったけれど、21世紀の現在、足の拡張である自動車に依存した生活で、足の退化と腰痛と肥満に苦しんでいるような側面は否定できないところもあるのではないか。
死亡原因の第一位はダントツ交通事故だし。

しかし、デブ・デス・カーとはスポンサーの手前言うわけにもいかないだろう。それに、当然ながら自動車の社会的な様々な利便性を考慮したら、完全に利用を停止することなどできない。トレード・オフの結果だ。


この本の中では、拡張した脳の記憶領域であるPCやハイパーテキストやネットを使うとバカになると、ある意味では言っているところがある。つまり、ゲーム脳ならぬネット脳になるということは、どういうことかということだ。

もう少し踏み込んで言うと、マルチタスク、ハイパーテキスト、外部記憶への検索エンジンでのピンポイントの検索は、時間と熟慮が必要となる注意力という資源の利用を大きく阻害し、絶え間ない注意力散漫を招いているということだ。空間と静寂は内省を促す、といったどころではない。

初めてPCの利用法がわかったとき、頭の中の何かが変わったような印象を持った。もう二度と戻れない何かを得た感触があった。仕事が二倍こなせるという希望が持てた。

今では、業務中の連絡メールや電話や来客による中断、更新されるニュースRSSリスト、マルチウインドウで複数開かれた目的の異なるアプリケーション群。
まともにじっくり一つのことをリニアに考える環境ではなくなっているかもしれない。なんというか、仕事が二倍に増えただけという失望感にかられている。

実際、著者は山ごもりしてネット断ちをしなければ、本書を書くための資料の深い読み込みはできなかったと言っている。

私も以前のように原稿用紙で手書きで卒業論文程度の長文を仕上げるなど、かなり難しい。つうか無理。ワープロの編集機能・能力に頼りきった文章制作しか、もはや出来ません。

そうして作られた数百ページの本を、リニアに通して集中して読むことが難しいと感じることがある。以前は出来たはずなのに。リニアな集中する機会が少なくなったことによるネット脳に変質したためかもしれない。

ネットで読まれるのは、A4一枚に満たない短文が圧倒的に多い。たいていは新聞のベタ記事程度のボリュームと内容だ。
下手すると今来産業など、3行程度の要約が当たり前に求められている。あるいは、ガンダムに例えて話してくれとか。

内容は短くても、その前提となるスキームを共有していないまま、検索やハイパーテキストでピンポイントで参照ポイントに何度飛ばされても何のことかさっぱりわからない。
概念の同時のお手玉は3つか4つぐらいまでが限度というのが定説だ。マジックナンバー5とか7とかは作業を伴わない場合の限界値だろう。

キングオブむかつくハイパーテキストである法律条文などは、アナログ界でも同じようなものだが。
この条文はなにを意味しているのか3行で説明しろとか、経済学部の俺にわかるようにまどマギに例えて説明しろとか言いたくなることはあったりする。結局まとまった逐条解説を読むしかないわけだが。カフカの気持ちがよくわかる。

忙しい偉い人向けには、名刺の裏にかける程度の要約を、と求められるようなものかもしれないが、普通の人間はそれほど重要な判断を連続して求められたりはしない。

ワンフレーズ・ポリティクスやスローガン、プロパガンダは、そうした大衆向けの需要に応えるものだが。あと、懐かしのアスキー256倍文体も似たようなとこあるかも。

長期記憶や暗記を放棄した、機械への記憶のアウトソーシングが進むと、判断根拠があやふやにならざるを得ない状況になるため、日常的に判断能力が退化してくる局面も多々あるだろう。漢字が思い出せないのは日常茶飯事。

すると、次は、IBMワトソンのような人工知能というか人工無能というかエキスパートシステムへの機械への判断のアウトソーシングが求められていくだろう。プレイヤー・ピアノ

以前は、物事の価値というのは時間のフィルターにさらされたわけで、それはやはり、覚えやすいように、繰り返し語られやすいようになっている。

今の大量のカオスの中からは、検索エンジンがなければ、当初に必要な知識へのとっかかりは発見できないだろう。
しかし、プロのリサーチャーが深い情報を検索発見集約するには、その主題に対するスキーマの大量の保有が成果を左右するのは言うまでもない。検索エンジンが情報の価値を決定する唯一の権威ではなかろう。

実際、ネット検索は、デジタル全盛になるちょっと前のことと、主題の周辺のことが出てきにくい。

ハイパーテキストが単なる割り込みによる注意力散漫を招くだけかというと、何かをアウトプットさせる場合のガイドとして適切にドキュメントが設計されていれば、リファレンスとして大いに役に立つし、何らかの構造化文書の作成には大いに効果を発揮する。

実身/仮身で学べるハイパーテキストの大きな長所だ。が、世の中、構造を持った文書を作成したい人など、そんなにはいないのもまた事実。そして普通はハイパーテキストの絶え間ない寄り道で迷子になるだけである。ハイパーテキスト・リテラシーってなにソレおいしいの?

今後ますます、プログラムされた機械の判断結果に従うことは多くあるのだろう。時間の判断は時計が、経路の判断はカーナビが。枚挙に暇のない話だ。

理想を言えば人間の判断のもとで、トレード・オフを考慮しながら利用されるべきなのであるが……。たぶん無理だろうねえ……。というのがネット・バカってことなんでしょうね。

|

« トマトジュース・ダイエット | トップページ | 産業活力再生特別措置法 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/68399/54033985

この記事へのトラックバック一覧です: ネット・バカ:

« トマトジュース・ダイエット | トップページ | 産業活力再生特別措置法 »