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2011/08/07

没後150年 歌川国芳展

http://www.shizubi.jp/exhibition/future_110709.php

まず武者絵で売り出したってことなんですが、国芳31歳の時「通俗水滸伝豪傑百八人之壹人(つうぞくすいこでんごうけつひゃくにんのひとり)」で脚光を浴び、空想の世界のヒーローを続々と生み出しました、ってのはいいけどこれで、入れ墨入れるブームが起こったりするのはいかがなもんかと、まあ思うわなあ。

今でいうと、ヤンキー漫画読んで、架空の登場人物に影響されて入れ墨入れるのが流行ったら、やっぱ規制するかなあ。

つーか、イラストと総ルビの文書で俺でも読めるって黄表紙本って完全ラノベですな。日本人ってやること同じだよな。

あと、江戸時代に今でいうところのマーダーケースブックみたいな実録猟奇殺人事件再現ものシリーズみたいなのも流行ってたのね。それも、かなりいかがなものかと思いました。


水野忠邦の「天保の改革」で役者絵や美人画が禁止されると、って市川海老蔵のブロマイドがあったりして、むせた。歴史歴史。別に六本木で喧嘩して謝罪とかはしていないみたいであった。

まあ、薄い本やブロマイドにあんまり血道をあげる人ばっかりいたら、すこしく問題があるような気はするな。

国芳はこれを逆手にとり、幕府に対して痛烈な風刺画を描き、奇想天外なアイディアの戯画などで禁令をくぐり抜けます。

アルチンボルドみたいな絵もこの辺で描かれているみたい。1950年代のアメリカでもヘイズコードを逃れようと、ヘソ隠しアクセサリーがあったりと、却ってエロくなってたりするみたいなもんだよな。

お上の規制があっても、まあ、適当にやり過ごすというのが普通なんでないのかねえ。能だ狂言だなんて、裁判所のすぐ横でやってたりしたんだから、どうでもいいことなんじゃないのかしら。

どのみち、規制はそれなりにあるもんなんだから、商売が続いてるうちは問題ない表現に頭を使うだけなんじゃないのかと。出版にあたって規制審査済みの判子を打ったりするらしいけど、売れそうなのには審査ゆるくして適当に押させているとかあって、まあ苦笑した。はいはい映倫ビデ倫CEROCERO。

あと、絵の具の色数も華美さを減らそうとして規制したけど、そのおかげで、色遣いと構図がシンプルになって良くなってるような気がした。

忠邦が失脚すると、今度は大判三枚続を活用したダイナミックな武者絵で一世を風靡しました、とあるけど、このシリーズは凄かった。今見てもインパクトありまくり。

まあ、幕末の結構命がけの規制逃れの紆余曲折を作品でたどるということになったりしたのだけど、その紆余曲折も含めて、面白いからいいんじゃないかと思った。

ま、表現の自由はそれなりに追い求めるにしても、別に規制はあったらあったで、面白く避ければいいだけなんじゃないかと思った一日でした。さすがに業界丸ごと粛清とかというのは論外だけどな。

しかし、すごいボリュームでした。まだ、これと同量の入れ替えをしてるとか、ありえねー。

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