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2008/08/03

バウハウス・デッサウ展

トロン・プロジェクト最初の頃に、バウハウスの活動をモデルのひとつにしてると坂村先生が言っていたような。
確かにバウハウスの活動を図示したものと、初期トロンのカーネル解説図なんかは良く似てる気がする。

おそらく無駄に力が入っていたんじゃないかと勝手に想像する東京芸大美術館で見たかったんだけど、行けなかったんだから仕方ないね。

バウハウス周辺のアーツアンドクラフツとかデ・スティルとかスプレマティズムあたりの紹介が軽くあって、カンディンスキーとかクレーとかファイニンガーとかアルバースの授業などがあって、実物とかアンビルドの紹介という、手堅い内容ですな。ということで、ちょっと初心者向けじゃないので、デザインに興味のある人じゃないと少し辛いかな。

(当時の)手に届くモダンアートというか現代美術に囲まれて生活するってコンセプトも実際に住んでみると疲れたんじゃないかしら。
モダニズムという未来を、机上の空論かもしれない中、作っていたのだろう。 歴史の荒波にもまれた壮大な挫折として終わったと見るべきなのだろうか。

インターナショナル・モダンの均質空間に耐えられないのがコラーニだったり、ポスト・モダンだったりしたんだろう。そのあたりが、Less is BORE.と言われる所以だったりするのかもしれませんが。

時代というのは机上の理想論から半世紀遅れて、やっと安心できるぐらいの安定期に入るのであろう。 日本がモダン建築を吸収できたと言えるのは、前川國男以降の、部材の標準化、JIS化、工程の標準化が成立してからだろうし。

そして、モダニズムの一人勝ちが統一を欠いた「街並み」という課題を生み出したともいえる。
最近のモダニズム再評価というのは、モダンに馴れた私たちが居るからなのかしらん。

90年代の「モダンOS・モダンコンピュータ」を目指したトロンも、個々のパーツ自体は大分標準的なものになってきたと思う。
トロンの目指した電脳都市というモダン・ユビキタス空間はかつてほどのSF的な輝きを放ってはいないが、現実になりつつあるというフェーズに移っているというところに、坂村健の見切りの確かさにやはり驚く。

モダン・ユビキタス空間の退屈ってなんだろう。
パーソナル・ファブリケーションやプロシューマーがモダンの次にあるのかどうかは良くわかんないけども。

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