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2006/04/08

仮想BTRON戦記その4

あまり知られていないようだが1990年3月30日、再びスーパー301条にトロンが指定されている。

アメリカ通商代表部が「1990年版貿易障壁年次報告」の中の「その他の障壁」分野で、半導体輸入不足などとともに、前年度の指定で抗議を行い指定から外れたトロンが、再度指定されてしまった。

これが止めとなり、1990年前半にアメリカの圧力を恐れた各パソコンメーカーが、続々とBTRONパソコン製品化を中止することになっていく。松下本体はTRONをタブーとし、TRON開発部隊は解散。
一部が松下通信工業に移って研究を続行。1990年9月6日パナカルET発売として発売した。

松下通信工業が、パナコムM500シリーズに1B-OSと教育用ソフトを載せて発売。

「CEC仕様90」に準拠し、ソフトはドリル型CAIを実現する「ETコース」、問題解決型CAIのための「ETマルチ」、ハイパーテキスト教材作成用の「日本語GUIDE」、AVボードと、ビデオ等のマルチメディア教材を編集する「AVエディタ」を装備。ただし、販売対象は学校市場のみとなってしまった。

しかし、一度もBTRON仕様OSであることを名乗ったことはない。

1990年11月には日本航空が、BTRONの端末を使った座席予約システムJAL-BTRON完成発表。

従来の日本語使用不可なキーボード依存の世界航空会社標準システムの欠陥を解決するため、BTRONをベースにしたシステムを前年12月頃から開発を進め、完成。さらに他のオンラインシステムにも応用の予定もあったと言う。

しかし、オンライン航空座席予約システムといえば、Whirlwind計画-SABARから続くアメリカコンピュータの歴史と伝統による牙城の領域である。

この辺でアメリカさんを本気で怒らせた可能性も否定できない。


1990年12月にTRONチップ上で動く32ビット仕様OSとして2Bを開発。受注開始。
対応して、富士通等のGマイクロメーカーが評価マシンを作成。筐体デザインは坂村氏自身であった。

また、AI構築言語「OPS83」、有限要素解析ツール「MEF/MOSAIC」、Cコンパイラ、統計パッケージ「STAT」といったバリバリの開発ツールが予定されていた。


結局この1990年3月の、スーパー301条再指定がなければ、2Bの開発が全うされたかもしれないし、松下・富士通・日立・三菱・東芝・沖・NTTから2Bを利用したBTRONパソコンが、それなりのアプリケーションを伴ったうえで発売されていた可能性は高いと思われる。てゆうか、思ったっていいだろ。


真のTRON仮想戦記はここから始まる。(でも疲れたから続かない)

ここからはみんなの力で!ってジャンプの打ち切り漫画の最終回みたいに尻切れトンボで終わってみました。
20世紀の終わりまであと10年とか言う意見は華麗にスルーの方針ですので。

なお、実際の歴史の続きは、TRON Logのほうをご覧ください。

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