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2006/04/11

仮想BTRON戦記その1

1989年5月にUSTRからスーパー301条の対象に上げられTRONプロジェクトは散々な目にあった。
それは事実だ。
にもかかわらず、CTRONとITRONはそれぞれ成功をおさめ、21世紀を迎えた。

では、BTRONはUSTRの妨害さえなければ成功したのか?

歴史に「もしも」はないのであるが、それを妄想するのはまた一興である。
軽く何回かに分けて20世紀までを経緯を振り返ってみよう。

坂村氏は20年以上前の1983年に通商産業省の外郭団体において8ビットプロセッサが主流であったパソコンの今後についてOS分科会で検討を行ったうえで報告書を提出した。そこで、16ビットコード系への移行、リアルタイム性、データ互換を前提としたトロンの原型ともいうべき新しいコンピューター体系を提言した。

この提言が産業界にまったく実際の行動を呼ばなかったことが、トロンプロジェクトを起こすきっかけになったと言われている。

その後1984年には90年代のパソコンの要求仕様を答申した。前年のOS分科会の提言を受けて、90年代のコンピューターの具体的な仕様を提言。これがトロンの原型となった。

1984年5月には坂村氏、第4回マイクロコンピューター応用国際コンファレンス(IMAC84)で「TRONプロジェクト」と題して、初めてトロン計画を発表したようだ。

6月には東大を拠点に、坂村教授の個人的プロジェクトとしてスタートしている。

この頃から、「IEEEマイクロ」等のアメリカ学会誌に盛んにトロン関係の論文を投稿し、注目を集めるようになって
いたようだ。またNEC・松下・富士通・日立・三菱の五社と意見交換を行い、トロンに関する協力を確認。後には、東芝・沖・NTTも加わる。


1985年には松下電器がBTRON仕様OSの開発に着手した。
OA市場におけるパソコン事業再構築を狙って、関西情報研究所に200人の研究陣を投入し、開発を開始。


その頃の論文:

論文:「リアルタイムオぺレーティングシステムITRON」1985年
日本ロボット学会誌Vol.3-5

論文:「BTRONスーパーパーソナルコンピューター」1985年
坂村健計算機アーキテクチャー研究会資料57-4

「BTRONにおける統一的操作モデルの提案」1985年
坂村健情報処理Vol.26-11

1986年6月15日にはトロン協議会が通産省の外郭団体である電子協内に事務所を設置して本格的に活動開始。NEC・松下・富士通・日立・三菱・東芝・沖・NTTの8社によるスタートであった。

何となく、最初の頃のT-Engineプロジェクトみたいである。
結局やってることは同じなのかも。

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