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2005/05/30

放送と通信の間に


結構前から放送と通信の融合って言うじゃな~い。

メディアの生成アメリカラジオの動態史/水越 伸や古いメディアが新しかった時/キャロリン・マーヴィン/新曜社/吉見俊哉・水越伸・伊藤昌亮訳あたりを読むと、単なる「先祖帰り」なんじゃないかと思う。

実際のところは無線技術自体は放送と通信自体の区別はなかったわけで。

ラジオのルーツは無線だし。
現在でもアマチュア無線やトランシーバーには発信者と受信者の区別というのはない。

「無線少年」と呼ばれるギークな人たちが、「地理的な共同体を越えて国家的、国際的にコミュニケーションをし、世論を広め、民主主義社会を実現していくことができる、画期的な道具」をゴリゴリ使って注目を集めてた時代があったわけだ。

こういうのを「温故知新」というのでしょうか。

ではなぜ発信者と受信者という区別が必要になったのかというと、まずは混信がひどすぎて整理する必要ができたからでこのあたりで「公共の電波」になっていくわけですな。


あとは、ラジオ受信機を電気屋さんが売り出して商売にする。放送局も囲い込む。あとはテレビの世界まで続く、ということになった。

しかし、多チャンネルになっても混信が起こらないとなれば、通信と放送を区別する必然性がなくなる。規制の根拠となる前提が失われてしまえば、本来あるべき姿に「先祖帰り」するだけのことである。

例えばマルチチャンネルアクセス(MCA)、そしてインターネット。

ネットラジオなんかもそのひとつか。

http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000050154,20083945,00.htm
ラジオ業界を震撼させる「Mr.ポッドキャスティング」


商業化初期のインターネットは相当アマチュア無線の世界であったけれど、プロバイダーであるとか、ニュースサイトやeコマースサイトや検索ポータルサイトのようなヒエラルキーは存在しているわけで。


過去に学ぶとするとラジオ受信機に相当するようなネットコンテンツ受信専用機、たとえばiPod。ハードディスクビデオ。TiVO。インターネット冷蔵庫。PODキャスティングもそんなひとつの流れであろう。


ネットラジオは相当アナーキーな世界が広がっていて、ある種聞くに堪えないというか。しかし面白い世界ではある。

クイックタイム1.0に未来は感じながらもそのショボさに失笑してしまった私には見る目がないということではあるけれど。

ギガバイトオーダーのハードディスクを必要か?可能か?などと当時は疑問を感じていた。
現在、単なる笑い話でしかない。


ということで、ネットコンテンツの効率的な受信の仕組みや機器といった新時代のフレームワークが求められているんである。

その枠組みはユビキタスIDであったりDRMであったりフリーカルチャーであったりと揺れ動いていくのであろう。


伝説のラジオ番組ザ・グーン・ショウやゴーゴーナイアガラがポッドキャスティングで視聴できるなら、CD程度の金は払ってもいいすよ。

最近、恋はメレンゲが私の頭の中でリピートしているのは、ユビキタス恋のメレンゲと言ってさしつかえないだろうか。

ではまた。

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