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2005/05/27

文脈のすきま

人脈づくりの科学/安田雪/日本経済新聞社 を読んでみた。

スモールワールド・ネットワークやスケールフリー・ネットワークやランダムネットワークについての概要をさらっと説明している感じの本ですね。ソーシャルキャピタル(社会的関係資本)とネットワークの関係から人脈の形成について語る本ともいう。

それぞれの詳しい内容については、以下の本にそれぞれあたってもらうとして、なんとなくの感想。


・スモールワールド・ネットワーク

スモールワールド・ネットワーク/ダンカン・ワッツ/辻竜平・友知政樹訳/阪急コミュニケーションズ


・スケールフリー・ネットワーク

世界を知るための新科学的思考法
新ネットワーク思考-世界の仕組みを読み解く/A.L.バラバシ/NHK出版 青木薫訳

日経サイエンス 2003年9月号にスケールフリー・ネットワークの図が乗っていて格好良い

ランダムネットワークについては、

自己組織化と進化の論理/スチュアート・カウフマン/米沢冨美子 他訳/日本経済新聞社


優れた人脈ネットワークには意図的に「すきま」を作ることが必要なんだそうな。
確かに、職場や業界の内外にいわゆる「顔が広い」「顔が効く」人というのは一般的に仕事が出来そうな感じがする。

現在の直接所属する団体以外での人的ネットワークを形成して維持できることというのは、維持するだけの労力を投下できるということだけを考えたとしても、優れた能力のひとつといえるだろう。

ソーシャルネットワークサービス(SNS)との関連でいうと、意図的に人脈の隙間がつくれるかどうかがBBS時代のniftyとの差異化になるのではないか。
お馴染みばかりの「村」が固定してしまってはniftyの二の舞であろう。

もっとも「良い」コミュニティというエコシステムというのはささいな環境の変化に非常に弱かったりするが。

ネットワークにおける現象の共通性ってことで、ネットワーク型ファイルシステムである「実身/仮身」との関連をついでに考えてみる。

ウィンドウズなどが利用している一般的なツリー型ファイルシステムというのは、ファイルが増えていくと、ファイル間同士での「内容の文脈的な隙間」ができにくい。

どういうことかというと、ディレクトリによる「分類による整理整頓」しかできないというのは関係のあるファイルをまとめておいておかなければいけないという力学が強く働く。

すると、同じフォルダの中は似たり寄ったりのファイル内容ばかりがどっさり詰め込まれていて、どれがどれだか紛らわしくて、欲しいファイルが全然見つからないうえに、そこから新しい意味を持つことができるような生産的な文書が作成されず、ただルーチンごとにギチギチにまとめられているだけということになりがちである。

ピラミッド型組織の弊害みたいな風景が、ファイル管理のなかに再現されてしまうのである。


実身/仮身のようなハイパーテキストファイルシステムにはファイル同士の文脈が記述できる。

そこに意図的に文脈上の隙間を作ることができる。実身/仮身の風通しのよさみたいなものを感じる瞬間だ。

以前のエントリーの「考具」で紹介されているジェームス・W・ヤングのアイデアの定義っていうのは、「アイデア」とは「異なる要素」の「組み合わせ」なんだそうだ。

言われてみれば検索エンジンでいくつかのページを並列的に見ているとアイデアが湧くことがある。というか、このブログはたいていそんなネタの出し方をしている。

これをBTRON的に言うと、普通にファイル管理している⇒異なる要素が並存する⇒アイデアが出やすくなる、ということになる。

システム標準機能だけでグーグルと同様のことが可能なのが、アイデアプロセッサとしてのBTRONの優位点である。grep類似の機能として実身/仮身検索の結果⇒アイデアのきっかけになるのだ。人脈ならぬ「文脈の形成」ってことか。

データ形式がTADなのでファイルの種類に関係なく仮身が検索結果として表れる。ウインドウズで言えば、標準のエクスプローラーでどんなファイルの中も検索可能という感じ。

画像であっても仮身名やテキストを埋め込んでおけば検索可能。ここが他システムに対しての大きなアドバンテージである。つまり、今話題のデスクトップサーチの先を行っているわけだ。

地味だけど、つかんでぽんとリンクさえ貼っていれば、ファイルが増えれば増えるほどかえって便利になるのである。これは、ある程度項目の増えたWikiなどを想像していただければイメージがつかめるのではないかと思う。

逆にいえば100項目しかないWikiPediaや世界中で100ページしかないようなWebなんかはあまり見る気や使う気がしないだろうといえば分かっていただけるだろうか。

確かに、使っているとリンクが主体になったような、いわゆる「顔が広い」ファイルが出来上がる。そして、「顔が広い」ファイルを最初に訪れることが多くなる。空虚な中心といっても良い。

そうした意味では人間づきあいとファイルとの付き合い方が似てくるのは確かだ。


ただ、ツリーかネットワークかというのは同じ山を上から見るか横から見るだけの違いであって、その時々でどちらがパブリックな扱いを受けるかが異なるだけともいえる。


ただ、ネットワーク型ファイルシステムが、ツリー型ファイルシステムみたいに分類出来ないかというとそうしたことはない。単に仮身だけを貼ってまとめておけば良いだけのことだが、不便なので普通は仮身のまわりに何らかの説明を付与しておくだろう。


この辺が、今までのツリー型ファイルシステムや検索の出来ないプロプラエタリなデータ形式を不合理なシステムだとして、全く使いたくなるところである。

説明が難しいけれど、実身/仮身の素晴らしく融通が効く感じ(マーク・アンドリーセンがWWWを説明するのにどれだけ苦労しましたか?)は、今後LonghornでのWinFSとかMacOSタイガーとかで味わえるようになるのかもしれない。が、ただいまのところはBTRONぐらいでしか味わえないように思う。


超漢字を使いながら、今後の人間関係や組織のありかたがどうなっていくのかに思いを馳せてみるのもよいのではないでしょうか。

長くなったのでこの辺で。ではまた。

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