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2005/04/21

TiPO

http://www.personal-media.co.jp/press/press/050421_tev850ema3kit.html
LANやUSBを標準搭載した「μT-Engine/V850E-MA3開発キット」を発売開始

TiPO搭載のCPU(V810)は、NECのゲーム機PC-FX とかにも使われていたし、トロンチップとV80シリーズの類似はつとに指摘されるところである。

またV8XXシリーズでTiPOみたいなのに再チャレンジしてくれないかな。


ということで、伊与部倫夫さんの年表:TiPOを無断で参考にしつつ、その歴史をさぐってみる。

1995年春
SII(現セイコーインスツル)が新しい携帯端末の企画を始める。

もう10年も前のことになるんだなあ。

生命保険の営業支援用等に実績のある業務用PDA「ブレインパッド」の新モデルとして、DOSでの限界が見えてきたため、ネットワークやGUIに対応した新機種の企画が始まり、対応OSを検討をはじめた。
(TRONWARE42-P72)

同時期に、BTRONにPDA用の仕様を追加した。いわゆるμBTRON仕様である。
TRON協会BTRONサブプロジェクトは、特にHMIにおけるPDAのハード的制約に対応するため、BTRON仕様を拡張。
画面デザインなどはずいぶんと手が入ることになった。

1996年4月にはBTRONをPDAに移植するため、SIIが新携帯端末のOSをBTRONに決定。
PMCが、数社の依頼を受けて移植を行い、年内にもBTRON搭載携帯端末登場の見通しと発表。

1996年9月にはTipo発表。
SII、32ビットプロセッサに対応したOS「B-Right」を採用したPDA、「ブレインパッドTipo」を企業内イントラネット向けに販売する予定を発表。(TRONWARE41)

ここで、TiPOを「業務向け」として開発していたことが、後の騒動の一因となる。


1996年10月16日 Tipo、企業向けに受注開始 
Tipoの正式発表。スペックの発表と、受注。BTRONとPIM(WWW搭載)を切り替えて使用。
MPUはV810、ROMは8MB、ペン入力、モノクロ640×240ドット。

ここで搭載されていたブラウザーこそ、その後i-MODEで採用されることになるNetFRONTである。
しかしBBBのようなインターフェイスを期待していたBTRONユーザーからは、まったくの別環境で動くことには賛否両論があった。

しかし、同時期に出たPDA向けのWWWブラウザーの中では、かなり実用になったのも事実である。
特に、PDAではかなりの大画面と、大き目のフォントはずば抜けて見やすかった。
ただし、低電力・長時間動作を維持するため動作がもっさりしてるのと、やはりキーボードがないのは不満だった。

この後、実際に使用したモバイラーからの怒涛の要望によって鍛えられなければ、アクセス社はNTTドコモに自信を持ってNetFRONTを提示できただろうか?

また、当初のPIMは随分と不評であった。やむをえなかったとはいえ、後の不満の種となった。


1996年12月4日 TiPO、一般向けに受注開始 
PMCより「電房具TiPO」として一般ユーザー向けに機能強化したものを受注。

しかし、企業向けに開発していたため、コンシューマー向けのPDAとしてはかなり不完全なものであり、ユーザーから不満が殺到し、かなりの騒ぎとなった。

1997年1月頃、TiPOをベースにした博物館展示説明システムを開発した。
赤外線通信装置で展示装置と交信し、文字や音声によって説明を受ける。東大総合研究博物館のデジタルミュージアム展から登場。

そして、一年後の1998年1月頃には博物館携帯ガイダンスシステムを搭載したTiPOが「MGS-3000」としてPMCから博物館向けに発売されたりしていた。

つまり、今のT-EngineでのRF-IDガイドシステムみたいなことは、10年近く前から着々とやっていたのである。


TiPO出荷開始 1997年2月、SIIから企業、PMCから一般へ、受注販売として製品の出荷が始まる。

TiPO開発環境の貸し出し開始 1997年6月、TiPO用ソフトの開発環境を使用してフリーソフトを開発するユーザーを募集。若干名に開発環境を貸し出す。

1997年7月 TiPOのバージョン1.10へ。このバージョンアップは、なんとオンラインでおこなわれた。
WindowsUPDATEは構想だけで、まだ何もなかった頃の話である。

こうしたところが、TiPOが先進的だったと言えるところだ。
まあ、今考えるとセキュリティ的に冷や冷やしなくもないけど。

1997年9月 TiPOの店頭販売始まる。
T-ZONE・ソフマップなど、全国大型パソコン店でTiPOを扱う。当時はPDAが色々あって面白かったなあ。


1997年9月には、TiPOがなみはや国体の記録機器として採用された。
大阪で行われたなみはや国体で、スポーツ競技用PDAシステムとして始めて、「競技記録速報システム」として採用された。

PC WAVE 1997年 12月号 電波実験社 
セイコーインスツルメンツBrainPad Tipoが33ページより6ページ紹介されている。筆者は美崎 薫。

テストリリースの成果を取りこんだいわゆる一般向けリリース時の紹介記事で、DOS初期からのTipoの画面が沢山ある。
また、なみはや国体で記録速報システムで採用されたことにも触れられている。

ここで、モバイルとインターネットを融合した実験がすでになされていた。


1997年10月、TiPOのバージョン2.00へ。

そして、1997年12月。TRONSHOWで満を持してのバージョン2.10。
β版として配布。ウェブのBTRONとのデータ連携が向上。IRDAによるLAN接続可能。
パスワード機能の向上の他、ブラウザのHTML3.2対応、メーラーの商用インターネット本格対応など。

日経産業新聞1997年12月3日
メトロワークスがTiPO向けにプログラムソフト「コードウォリアー」を開発すると発表。翌年春に発売する予定、とあったがこれは残念ながら実を結ばなかった。

1998年6月10日。TiPO-plusが発表された。
TiPOのソフトウェアを大幅に拡張。小物として呼び出せるハイパーPIMや手書きメモの他、ファイル起動の改良等。
これで、随分使いやすくなったように思う。

しかし、当初予定されていた他社の参入が、結局起こらずじまいで、このあたりで開発にブレーキがかかってしまった。


そして、1999年にi-modeが発表された。爆発的な普及を見届けるかのように、1999年6月TiPOが販売停止となる。
ITRONをベースに、TiPOが鍛えたモバイルネット環境なくして、はたしてi-modeのあそこまで技術的な成功があっただろうか?

また、i-modeは当初よくサーバーが落ちたが、CTRONが支えた音声通話部分が落ちたことはなかったように思う。

PDA市場がザウルスとCE機に二分され、それ以外のマシンは相次いで生産中止となる中で、TiPOも撤退を余儀なくされた。

しかし、現在でもTiPO後継機の開発要望は根強い。


【μBTRON】伝説の名機BrainPad TiPO【実身/仮身】
http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/mobile/1099443079/

TiPO PLUSの仕様
http://web.archive.org/web/20001203004400/www.sii.co.jp/js/bas/bptipo/plus/tipospec.htm

型番 BP-2111-03
CPU V810(最大18MHz)
OS B-right(BTRON仕様)
開発言語 マイクロスクリプト

内蔵メモリ 
ROM 8MB(OS、辞書、フォント等)
RAM 6MB
フラッシュROM 8MB(一部システムで使用)

ディスプレイ
表示方式  モノクロLCD 4階調
解像度    640×240ドット
文字種    漢字JIS第1水準、漢字JIS第2水準、補助漢字(B-right起動時)

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コメント

つい最近も、V850E2/ME3公称400MIPS@200MHzとか言う、SH-2Aに対抗出来そうなのが出てます。

両方とも特徴的なのは、リアルタイム性能を確保する為に大容量のRAMとDMACを搭載して命令セットにも手を入れてる事でしょうか?。
※:SH-2Aに至っては、TRON-CHIPで言う制御空間みたいなレジスタバンクを15セットも搭載してますね。

投稿: nya | 2005/04/22 11:07

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