その昔、「未来少年コナン」を一週間に一度程度の頻度で30分だけ放映するという、時代としてはVTR機器の普及率的に録画不可な状況であり、見逃した場合、再放送はいつかはわからないという種類の超ド級の精神的拷問があったそうな。
今では、なんだかんだで見ようと思えば何らかの手段で見ることができるので、新聞のテレビ欄の確認と野球の時間延長の有無確認とテレビの前で正座で待つといったことは特にしなくても良くなっている。それが、かならずしも放送当時オリジナルと相違ないものかは別の話だが。湯気があるとかないとか。
しかし、そのような濃い後戻りのできない視聴体験を常にしたいのかと。ちなみに俺は3日間連続でレーザーディスクで全話ぶっ通しで見た。ディスクひっくり返すたびになんの拷問かと思った。莫迦ねえ。
テレビなど、マスコミというのは一般的に考えてプッシュ・テクノロジーの類であり、ネットは、プル・テクノロジーの成功例が圧倒的に多い。この間を取り持とうというのがスマートTVということなのだろう。
が、テレビからのプッシュを賢くするためには、誰あろう見る人個人の趣味嗜好をテレビに投影する教育が必要になるのであろう。なにその「マイ・フェア・レディー」のイライザ的ピグマリオン状態。
そんな面倒くさい教育なしに、習慣的に付けておいてダラダラ必要なオススメ情報を垂れ流していただければ充分なのですが、という感じでもある。テレビの影響力は今でも充分に大きいわけで。
視聴者が見ていると賢くなるのが、真のスマートテレビ、とか何そのうまいこと言ったみたいなドヤ顔うざいです。
視聴者が賢くなるって、どういうことなのというと、コンテンツ内における重層的なコンテキストを視聴時にリアルタイムで評価できるってことなのかなあ。
歌舞伎のかけ声とか、ニコ動の異様に的確なコメントとかああ言う感じかな。コンテンツの見所やニュースの解説の背後のコンテキストの適切不適切を瞬時に判断とか。
しかし、そんな受けきれない情報量や選択肢や個人の価値観の表明に皆さん疲れてるんじゃないの?
情報化社会というか、情報資本主義で、情報の裏のコンテキストのインテリジェンスをいちいち考えるのも面倒だし、テレビ見てなくても、昔ほど会話に困らないし、残業でテレビ見てる時間もあんまりないこともあるし、ネットのほうがどっちかというと面白い。
どのみち、いつでも見ることができるんだから、どっちでもいいやという環境をどうするかですかねえ。重度の依存だなあ。ある意味タバコより悪くね?
俺は番組を見逃さないために正座してテレビの前で待っていたというようなことは、あまりなかったかもなあ。
もちろん代替コンテンツはいくらでもある。できれば、見たそうなものが適切にたまたま放映されている状況が続いているのが望ましいのだが、それは番組編成の問題だし。
でも、他人のオススメをボケーっとダラダラ習慣的に見る分にはテレビが適していると思う。
それがスマートな行為かどうかというとよくわからないが。どのみちテレビ見るのは仕事じゃないからどうでもいいや。結論として多チャンネルなんだから番組編成がスマートになるといいんじゃないかと思った。
つまり、コンピレーションCDならぬコンピレーション番組。選曲家ならぬ選局家ってことか。FMのDJみたいなもんですな。技術的にはできるけど、権利的に難しいのか。見巧者に報酬が行けばいいのかなあ。
人間、頭を使うのは疲れるんだから、そういうことを見る側の苦労から省いて面白くしてほしいものです。
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